プロローグ

 東北地方最大の都市、仙台。
 百万人の人口を誇る、政令指定都市である一方で、四方を海と山に囲まれた、自然豊かな街としても有名である。青葉城(仙台藩祖・伊達政宗公の居城)が寄って立つ青葉山は、天然記念物であるオオタカの姿も確認され、深々とした緑に包まれている。また、街にはたくさんの木々が植えられ、並木道が東西へと駆けめぐる。
 戦前より仙台は、豊かな緑から「森の都」あるいは「杜の都」という呼称で親しまれていた。だが、戦後の焼け野原に人々が植樹した木々が育つにつれ、仙台には「杜の都」という呼び名が定着していく。人の手によって作り上げられた緑を意味する「杜」は、「森」よりも戦後の仙台の性格をよく表している。
 そして、「杜の都」の象徴として名を轟かせている名所が、「青葉通り」である。この大通りは、ケヤキの巨木が無数に立ち並ぶ並木道として、全国的に有名だ。
 市民の手によって植えられた、樹齢50年を超えるケヤキが立ち並ぶ様子に、人々は圧倒される。その光景は、まさに都会の中に存在する「杜」である。終戦後の焼け野原に植えられたケヤキは、いつしか蒼々と生い茂り、その並木道は、青葉山より名前をさずかり、永く人々に親しまれてきた。
 この青葉通りのケヤキ並木をモデルとして植えられたのが、もう一つの「杜の都」のシンボルである「定禅寺通り」である。全国的に有名行事となった「定禅寺ストリートジャズ・フェスティバル」や「光のページェント」などの大規模なイベントが、この並木道を中心として開催される。今や定禅寺通りは、異論を差し挟む余地がないほどに、杜の都・仙台の「シンボル」として認知されつつある。
 近年、定禅寺通りの名が全国でもよく聞かれるようになったが、その一方で青葉通りがイベントの舞台となる機会は極端に減少した。たとえば仙台を会場とする駅伝のコースは、定禅寺通りを中心としており、青葉通りは避けられている。以前は青葉通りもコースに組み込まれていたにもかかわらず。また「光のページェント」も、青葉通りのケヤキの電飾の数が年々減少している。12月の青葉通りは、光に包まれる定禅寺通りとは対照的に、暗く寂しげな景色だ。

  青葉通りは並木道として定禅寺通りを超える歴史があり、巨木のケヤキが列を成す観光名所である。だが、青葉通りはまるで市に軽視されているように、宣伝もされず、イベントに組み込まれることもなくなってしまった。
 一体なぜこんなことになってしまったのだろうか。

 しかしその一方で、市の地下鉄建設計画に疑問を抱く人々がいた。歴史あるケヤキ並木の伐採に反対する人、市が主張する地下鉄の経済効果を疑う人、彼らは一つに集結し、この伐採計画・建設計画に立ち向かった。

 本書は、仙台市地下鉄東西線建設計画の問題を指摘し、計画に反対した市民集団「美しい仙台を創る会」の活動記録集である。本編では、市民たちがこの集団を結成した経緯、地下鉄東西線建設計画への反対運動をすることになったきっかけ、そしてそのたたかいの過程を紹介しようと思う。
 現在の日本では、公共事業の名の下に大規模な開発がおこなわれ、親しんだ風景が失われていく。また、公共事業がきっかけで負債を抱える自治体も少なくない。本書の中では、行政が推し進める地下鉄東西線建設計画が赤字必至のプロジェクトであること、市民の文化遺産である青葉通りのケヤキを伐採する必要などなかったことが明らかにされるだろう。

 注:仙台市が定めた正式名称は「青葉通」であるが、「青葉通り」という表記も市民に親しまれている。本書では公式文書の引用や団体の固有名詞を記載する場合を除き、「青葉通り」という表記に統一した。他の道路の表記についても同様とした。