ま え が き

「福祉大国スウェーデン」−−多くの人びとはまず、そう口にするであろう。しかし、誤解を恐れずにいえば、スウェーデンを「福祉の充実した福祉大国」と表現するのは正確ではないと筆者はとらえている。正確には「貧困をなくした生活大国」と表現すべきであろうと考えている。
  本書でもその経過をたどるが、以前のスウェーデンは一介の貧農国にすぎず、貧困層が多数を占める国であった。それからの克服を目指し、政府は国民に将来への進路を問いかけながら、知恵をしぼり、総力を結集させてきたわけであり、今日のスウェーデンのすべては政治によってもたらされた国民の大きな財産といえる。
  具体的にいえば、何よりも先に貧困根絶に努力し、国民の生活全体を安定させ、向上させる政策を展開させてきたのであり、福祉充実はその部分的な成果というほうが正しいであろう。したがってスウェーデンを、弱者を対象とする「福祉大国」とするよりは、むしろ国民全体が豊かな「生活大国」ととらえるほうがふさわしい。

 こうした理由から、スウェーデン国内では福祉に関する事柄が特段に話題にあがることもない。年金、医療、看護、介護、児童手当金、教育などの制度はなるほど見受けられるが、注意を要するのは、福祉としての年金ではないし、福祉のための医療でもない。年金は労働生活と直結した制度であり、医療政策では国民全体の健康増進に重点が置かれ、単なる治療のための医療ではない。高齢者や障害者が対象の介護、それに児童手当金などもまったく同じ法的な位置づけであって、どの制度も国民を区別しない平等な仕組みで、すべては社会政策内に含まれており、財源も保険方式の保険料に頼らず、租税方式、つまり公費負担が原則となっている。
  例えば、日本でいま大問題となっている「後期高齢者医療制度創設」など、スウェーデンではありえない話である。同じく、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」など、若者が生活苦にあえぐ姿もありえない。スウェーデンでは、生活保護受給者は職のない若者がほとんどで、生活に困ったらすぐに受給でき、したがって短期に自立することもできる。やはり日本と大違いである。
  このようなわけでスウェーデンを語るとすれば、政治と行政、税金と財政、労働と女性進出、教育と家計、あるいは地域と居住など、福祉分野とは直接には距離のある項目が、まずいくつも並んでしまう。生活の豊かなスウェーデン社会を理解するためには、それほどに総合的な視野・姿勢が大切ということである。
  貧困と格差をなくし、スウェーデンを「生活大国」にした要因が、このような総合的で大掛かりな社会政策、社会システムであることを本書ではできるだけ詳しく記したいと思っている。つまり、スウェーデンでは「大きい政府」が「生活大国」を作りあげ、維持していること、そして国民がその「大きい政府」を支持していること。その実際が少しでも明らかにできればと思っている。

  ところで、日本ではしきりと「小さい政府論」が強調されるが、いったいその根拠はなにか。その根拠を説明できず、あいまいにしたままで、国民への責任転嫁や負担増加ばかりが進行する日本の政治に、本書ではまず最初に触れておいた。
  そして続いて、スウェーデンでは政府が日本よりはるかに大きいのに、国民がこれまでその「大きい政府」を支持し、税金を支払ってきたのはなぜなのか、そこで国へ集められた税金がどのように国民の元へ分配されてくるかを明らかにするとともに、税の重さ、軽さの議論よりは、国に集められる税金がどう役立つかのほうがきわめて重要であることを取り上げた。
  さらには、日本では経済と福祉は両立しないととかく強調されがちだが、スウェーデンでは順調な成長を遂げた経済が資源となって社会発展を可能としたわけであるし、税金を財源とする社会サービスや教育や介護などを含んだ国でありながら、失業率も比較的低く保たれるなど、こうしたスウェーデン方式の政治が、けっして経済や公共財政の足を引っ張るものでないことを明らかにした。
  ただし、課題や未解決の問題が一掃されたとはいえず、なかでもこのところ増加が激しい80歳以上の超高齢層へどう対応するかは大問題で、そのため社会サービス分野での質のすぐれた人材確保に迫られつつある。さらには、新時代の産業に適応できる内容の学校や教育の再編成も急がれるところである。その他の課題も含め、最終章で触れておいた。

 もちろん、スウェーデンが未完の国であることはいうまでもないが、将来を左右するのは国民の意思であり、政治の方向性である。
  スウェーデンでは総選挙投票率が80%以上にも及ぶ。それほどまでに政治への国民の関心が高いのは、民意が反映されやすい比例代表制のためでもあり、「信頼できる政治」「国民のための政治」があたり前になっていることの証しでもあろう。

 日本の国のあり方について、本書が読者の皆様とともに考え合う一助になれば幸いである。     

                     2008年10月        竹ア 孜