あとがき

 1964年、はじめて足を踏み入れたスウェーデンは、私には未知の国であった。不勉強のきわみで、外国をよく知らずに国際法の研究機会が得られたらと中途半端な気持ちで、フィンランドのヘルシンキから到着したのであった。
  そして偶然にも地元の人から、留学するつもりならば大学へ相談したらと勧められ、窓口へ行くと、現在とは大違いで、日本の大学卒業証明書を見ただけで登録し、学生証までを即座に用意してくれるのにはおどろかされた。そしてわずかな学生会費を払うと、たちまち王立ストックホルム大学(1887年創立)の大学院在籍者に早変わりした。
  当時の大学とは王立で、時代の歯車が逆回りしているようで、妙に不思議な気持ちになったが、同時に研究がうまく仕上がるのか、外国語で論文が書けるのか、パソコンが普及する前のタイプライターが使えるのか、頭の痛いことばかりであった。研究テーマとして心のうちに決めていたのは、200年あまり戦争をしていないスウェーデン伝統の中立主義であったが、実際には中立を貫くために実践した外交上の政治決断であり、政策であったため、それでは国際法学の研究領域には含まれないだろうと判断し、改めて決めたテーマが論文としてまとめた「ヨーロッパ共同体と超国家性」の研究であった。
  大学院生として指示されたのは、論文の提出だけとしごく簡単で、講義などが組まれてはおらずに自由であっただけに、専門分野の違う教授のもとを訪ねては教えを請うた。さもなければ、呼び出しや論文指導が定期的にあるわけでなく、教授との接点が生まれない放任主義となっており、研究はいわば本人主体のものとされていた。それは今も同じようである。
  同期生には、東欧の外交官、アフリカの法務省高官、アメリカのハーバード大学ロースクール出身者などと多士済々で、数多くの興味深い話が聞けたことは印象に残っているが、なかでも楽しみだったのは、外国からストックホルム大学をおとずれる学者たちを囲むワインとチーズを味わいながらのパーティーで繰り広げられる交流であった。
  研究を始めて、痛切に感じたのは自分の実力不足であった。当時は勉強不足を棚に上げて、日本で受けた教育不備をうらんだものである。お陰で論文作成には2倍以上の時間を要するはめとなった。しかし、論文作成のほか、社会、国家、政府、そして国民についての概念、法律と社会を結ぶ法社会学、家族や結婚の社会政治学にまで研究領域を広げていったのは、決して無駄ではなかったと思われる。
  論文が受理されたのち、機会があってストックホルム大学行政学部や日本のいくつかの大学での特別講義を担当した。また、日本外務省の専門調査員として在スウェーデン日本大使館に勤めたのち、もっぱら埼玉大学経済学部教授として教育と研究にあたり、その後、常磐大学大学院で教育に携わっている。

 あけび書房からは1999年『スウェーデンはなぜ生活大国になれたのか』、2002年『スウェーデンはなぜ少子国家にならなかったのか』、2004年『スウェーデンはどう老後の安心を生み出したのか』、2005年『スウェーデンの税金は本当に高いのか』とシリーズの出版が続き、そして今回の『貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国スウェーデン』となったわけである。
  続編がこれほど続いたのは、ひとえに時局を見抜く鋭い感覚のあけび書房代表の久保則之氏のお陰で、これまで数多くの示唆をいただいた。
  それと忘れてならないのは、スウェーデンの政治と行政の関係者、行政から委託を受ける立場の民間職員などの皆さんのご協力で、多忙のなか、調査や質問にいつも快く応じてくださったのには、感謝のほかない。現場における生の意見や情報なしでは、目まぐるしく変革する政治と行政の把握はできなかっただけに、現場との接点を通して貴重な情報源となっていただいた。こうした本がまとめられたのは、各方面からの計り知れないご協力をいただけたからであるが、ただし、お名前を列記するにはあまりに多すぎるため、この場をお借りして厚くお礼を述べたい。
  また、こうしたシリーズを通してスウェーデンを描き出す機会を与えてくださったあけび書房久保則之氏へはあらためてお礼を申しあげる次第である。

 日本に限らず、国民の生活問題は政治と密着しており、政治の質の改善がないかぎり、生活の安定や向上は望めないし、その鍵となっているのが国民の政治への関心であろう。そのような認識が、このスウェーデンシリーズによって広まれば、微力を反省しながらも、著者としてはうれしい限りである。

                     2008年10月        竹ア 孜