おわりに

 「窓口で申請書をもらえないなどということは、わが市ではありえません。もし、そのようなことがあれば、政府ももちろん黙っていないでしょうし、マスコミでもそれだけで大変な騒ぎになるでしょう。また、刑事責任も問われることになるでしょう」
  2007年11月19日から25日にかけて、私は、日本弁護士連合会の調査団の一員としてスウェーデンを訪問した。その調査の際、エステルスンド市の社会サービス局の職員や市議会の社会委員会の委員は、一致してそのように話した。
  エステルスンド市は、福祉の先進国と言われるスウェーデンの中部にある小都市で、人口はわずか5万人にすぎない。しかし、社会サービス法による生計援助(日本における生活保護のこと)の保障は徹底しており、市民が電話などで援助申請の手続きを問い合わせると、ただちに担当者が自宅に援助申請書を郵送してくれる。申請に必要な書類をそろえて窓口に行けば、平均して7日間程度で援助が認められるかどうかの決定がなされると言う。
  社会サービス局の成人担当部長が案内してくれた申請窓口には、子ども連れの申請者のために、「おもちゃ」が置かれており、コーヒーが自由に飲めるようにしてあるなど、申請者が「リラックス」できるようにさまざまな配慮がなされている。
  一方、賃金水準が高いこと、雇用状況も良好であること、年金が充実していることなどから、高額な歯科治療費が負担できないとか、失業給付や傷病手当の額が少なくて生活費が足りないなどの理由で生計援助を受けている人は、いずれも短期的な援助を受けている。そして、長期的に生計援助を受ける人は、病気やアルコール依存、薬物中毒などで働けない人、あるいは難民として移住してきた人など、「貧困」を克服することに特別な困難を抱えている人であり、日本のように高齢者、障がい者、母子家庭などが多くを占めている生活保護とは実態を異にしている。
  そして、「貧困」を克服することに特別な困難を抱えている人については、その困難克服のために、さまざまなプログラムが用意されており、本人の自発的な意欲を尊重しながら、一歩一歩「就労」に近づけるための支援が、市の責任で辛抱強くなされている。
  中でも、エステルスンド市が独自に採用している「結果教育法」という理論と実践は、人間の誰にも可能性があり、それを自己選択していくものであること、また、個人は、周りとの交流と対話によって理解され、扱われることによって正しい方向が選べるのだという「信頼と尊敬」に基礎を置く「支援プログラム」で、非常に興味深いものであった。
  スウェーデンでは、早期の段階で生活上の困難に対応することが、結果的に生計支援の財政負担を軽くするものだという考え方が徹底している。
  また、注目すべきは、難民の受け入れであり、5万人の人口にすぎないエステルスンド市が年間100人におよぶ難民を受け入れ、生計支援、自立の援助をおこなっているという。市の社会サービス局長Dan Osterlingさんから、「日本では年間、何人の難民を受け入れているのですか」と問われた際、私たちは、「極くわずかです」としか答えられなかったことが大変恥ずかしかった。
  日本では、難民の受け入れが非常に厳しいことは周知の事実であるが、自国のホームレスと呼ばれる人の支援対策すら全く不十分な日本の現状と比較しても、スウェーデンの人権保障に関する社会的合意の水準の高さには、改めて感心するばかりであった。
  そして、何よりも、福祉を担当する現場の職員(そのほとんどが女性)が明るく、生き生きと誇りを持って仕事をしている点が印象的であった。
 
  一方、私たちがスウェーデンを訪問している同時期に、日本では厚生労働省が「生活保護基準に関する検討会」を開催し、生活保護基準の「引き下げ」の作業を着々と進めている。それどころか、生活保護制度の本格的な「改悪」すら企図しているとさえ言われている。その背景には、財政対策先行の「構造改革」の一環としての動きがある。
  かつて、私が厚生省に勤務していた1970年代には、社会局保護課全体にスウェーデンと同様に活気がみなぎっていた。生活保護の給付水準をどう引き上げ、改善していくべきか、現場の制度矛盾とこれに基づく制度改善要求にどう積極的に応えていくか、財政当局への理論的説得をどうするかなどを課全体で真剣に議論し合っていた。また、当時問題となっていた精神にハンディのある人など長期入院患者をどう地域社会の生活に結びつけるかなどのケース研究を、職場での地位を忘れてお互い対等な立場でやりあったことも忘れられない。
  そのような当時の「熱い」現場と、これまで述べてきた北九州市の生活保護の状況、さらには、これを放置するだけでなく、監査などで高く評価し、全国のモデルとして紹介し、広めてさえきた厚生労働省の現在の状態は、あまりにも違いすぎないだろうか。
  しかも、昨年11月、全国知事会・全国市長会では、エステルスンド市の自治体の責任に基づく積極的な自立支援とは全く反対に、「生活保護制度等の基本と検討すべき課題―給付の適正化のための方策(提言)―」において、財政対策のために、期間を限定した生活保護の利用しか認めない「有期保護」の創設さえ提案している。一部自治体の責任者は、財政対策に汲々とするあまり、住民の立場に立った貧困問題の解決に真剣に取り組もうとしていないのである。

            2007年11月 エステルスンド市にて     尾藤 廣喜