まえがき

いのちは大切だ」「ひとにやさしく、思いやりをもつ」「いろんなひとがいてこそ社会」
「困っているひとには手を差し伸べる」「子どもを守り、お年寄りを大切にする」 


  この「誰もが感じ望んでいる、あたりまえのこと」が、時代が進むにつれて逸脱と衰退の方向に進んでいるように思うのは、私ひとりではないと感じます。
「みんながしあわせな社会」を実現しようとすることを「福祉」といいます。ならば、それとは逆の方向を向いてしまっているのが、現代の社会といえるのかもしれません。
  日本は福祉予算の数字だけ見れば世界有数の国ですが、福祉という言葉に「しあわせ、幸福」という広い意味もあり、「福」も「祉」も「しあわせ」を意味する文字だと考えると、その寒い実態が浮き彫りになります。子ども・おとな・高齢者・障がい者といった、あらゆるカテゴリーのひとに優しくない社会=ひとを大切にしない社会という現実が、ニュースで報じられない日はないと言っても過言ではありません。そんなことを持ち出すまでもなく、年間の自殺者が3万人を超えている状況がもう10年近くもの長期にわたって続き、自殺対策基本法という法律まで出来た異常さに加え、それがあってもなお一向に減る様子がないという事実だけでも「福祉不在」の充分な証明になるのかもしれません。
  ここまで考えると、「福祉」という思想は社会において大切なのではないか、そして福祉という語彙も理念も希薄になっている現状がいろいろな問題の一要因ではないか、と考えずにはいられません。
「福祉が文化へと昇華している社会を実現する」という理念と、その社会認識の広がりと、それにもとづく実践が必要であり、その認識拡大と成立のためには「受容と共感の姿勢」が必要となる。そのことに気づき、深く考え発言し、「ひとづくり・施設づくり・まちづくり」の実践を残されたのが、露木悦子先生です。こういった時代だからこそ、先生が残された実践と理念を多くの方に知っていただくことは、大きな価値があると思います。

 弁護士の夫を助け、ふたりの子どもを育てる専業主婦であった露木先生は、昭和47年に突然に夫を亡くされ、40歳を過ぎてから社会に出ることを余儀なくされました。そこには、他者には到底はかり知ることができないような困難と心労があったことは想像に難くありません。そして、さまざまな曲折を経て自らの道を「他者を援助すること」と決めた先生は、まずカウンセリングの勉強を始められたのです。
  その後、露木先生は保護司や教育相談所のカウンセラーといった職に就き、そこでの人的交流から小金井市の地域ボランティア組織をつくるなど地域交流にも貢献しました。その経歴を活かし、都内有名福祉専門学校の副校長に就任した後、中部地方の福祉専門学校の副校長や、都内の社会福祉専門学校のスーパーバイザー等を歴任していました。
  そういった実績を高く評価されて、平成8年から世田谷区立芦花ホームの所長に就任したのです。
  それらすべての経歴における行動と実践の理念となっていたのが、「聴くこと=受容の姿勢と共感的理解」による他者の尊重と、それによって構築される「ひととひととのひびきあい=信頼関係にもとづく、こころとたましいの交流および共鳴」でした。私はこれを、「聴く」ことによって、自分を含めたあらゆるひとびとが成長し、自立していく=育まれる「聴育(ちょういく)」と名づけたいと思うに至りました。
  芦花ホームで先生は目の前の「ひとり」を尊重することを、援助を含めたあらゆることの起点・基点としました。そこで、先生はまず「やすらぎの会」という会をつくったのです。利用者をもてなし交流するその会を通して目の前のひとを尊重することが、芦花ホームにかかわるさまざまなひととひととの信頼関係構築につながっていくことを、多くのひとが気づきました。そして、それは利用者の真のニーズを表出させ、把握することにもつながり、最適な援助へとつながってもいきました。それは同時に、利用者の自立を促し、活性化し、利用者自身が芦花ホームの歌である「芦花讃歌」を作成することへとつながっていったのです。加えて、援助者側や地域住民も「大きなやりがい」を感じ、活性化されていきました。その過程については、日本福祉文化学会の学術刊行物『福祉文化研究 Vol.7』において、「芦花讃歌完成までの道程」というタイトルで実践報告がされています。
  芦花讃歌完成までの詳細に加え、それを実現した「聴くこと=受容の姿勢と共感的理解」という理念について書かれたのが『心にひびく共感のアプローチ』(医学出版社)という本です。

「芦花讃歌」が創られていく過程で、利用者の家族との信頼関係も樹立され、家族会が中心となり、地域交流の核となる施設への夢が広がっていきました。それは、芦花ホームが地域高齢者の学ぶ場となる「生涯青春 芦花高齢者大学」開学へとつながるのです。加えて、地域の自立高齢者の交流の場を提供する目的で「ミニデイ」プログラムも実現へと向かっていきました。その詳細は、『特別養護老人ホームにおける福祉文化の実践』(一橋出版)という本に記されています。
「福祉が文化となっている社会」の実現のために行動と実践をされた露木先生ですが、ご自身は「福祉は、ひとが創造した文化である」という確固たる信念をお持ちでした。その信念が「生涯青春 芦花高齢者大学」へと結実していった経緯については、「生涯青春芦花大学?予防福祉の実践」(『実践・福祉文化シリーズ第1巻 高齢者と福祉文化』第・部第6章 明石書店)に著されています。
  そのような一連の「地域へ開かれた高齢者施設の取り組み」が高く評価された結果、平成15年9月11日に、芦花ホームに天皇皇后両陛下が訪問されました。御視察を終えられた陛下は、「世田谷区は素晴らしい。芦花ホームは地域に開かれた素晴らしい施設である。楽しかった」という御感想を残されました。
  しかし、露木悦子先生の経歴と足跡が「あまりにも立派である」という印象を抱かれ、ひとに先入観と乖離感を持たれてしまったら、本末転倒になってしまうのも事実です。なぜなら露木先生は、「聴くことによるひととひととのひびきあいは、いつ、どこで、だれが基点となってもいい」ということを示した方だからです。そして「聴くことは経歴や資格で行うことではない」ことも示した方でした。
  ですから先生のご経歴は、「40歳を過ぎてスタートし、ひとには言えないような曲折を経て、実践を重ねる中で培われていったものとは何か」という、「露木悦子という稀有な福祉人をかたちづくっていったきっかけや要素」を想像し、理解するヒントとして頭の隅に置いてくだされば幸いです。

 本書は、露木先生が考えていた「共感」や「聴くこと」とはどういうことで、なぜ必要なのか。そして「福祉は文化である」ということはどういうことで、なぜ必要なのか、について触れていますが、私の福祉現場経験や福祉教育経験からの内容も付記しています。それが必要となってしまったのは、残念ながら露木先生が私にこの本を託されて平成17年7月にご逝去されたという悲しい事実に加え、いくつかの理由によるものです。
  ひとつ目の理由は、「露木先生は、物事をくどくどと説明しないひとであった」という「事実」です。それは、「重要なことは、目の前のひとに合わせた、こころにひびく短い言葉で示す」という露木先生の大きな理念にもとづいた「ひとに対する姿勢」に起因するものです。ですから、不特定多数のひとに、文章でお伝えする場合には「説明」が必要になってきてしまうのです。だからこそ、私自身が福祉現場経験と福祉教育経験によって「先生がおっしゃっていたことは、こういうことだったのか」という反芻や発見についても明記しています。それを表すことによって、露木先生を存じ上げなくても理解が深まると感じるからです。しかし、先生が講演や会合で芳醇な言葉をもって語った内容については、そのまま使用しています。
  理由のふたつ目は、私の福祉現場での同僚や福祉の教え子が働く福祉労働というものが、とても困難な状況を呈しているからです。現在、福祉関係分野で働くひとの数は206万人にものぼり(2004年)、金融・保険関係で働くひとの数を大きく上回り、公務員総数に匹敵しようかという数です。にもかかわらず、社会的な地位も賃金も低水準です。
  先日の新聞に「福祉の離職率22・6%」という記事が載っていました。それは確かに「ニュースになり得る数字」です。これほど高い離職率は、「福祉現場はつらい所だ」「永く勤める所ではない」などの認識が定着するに充分な数字でもあります。加えて現在、福祉現場は制度改正や保険料アップと報酬ダウン等による利用者確保の困難さ、運営の難しさに加え、旧来から引きずる福祉や介護を巡る社会認知(ジェンダー問題・低賃金問題・地位の低さ)や、アイデンティティ・クライシス(あなたでなくていい、日本人でなくていい、人間でなくていいと言われているに等しい雇用状況と労働環境・自己裁量を奪われ、資格ごとに分断された援助範囲等々…)によって、疲弊を起こしています。
  たとえ、「大変なのはどの業種も一緒」であっても、ひとを援助する側の疲弊は、援助される側の不利益に直結しているのが福祉業界の特徴でもあります。ですから、福祉で働くひとたち、そしてそれを目指し現在福祉教育を受けているひとたちが、「いろいろ悩みや疑問があろうとも、露木先生がいる。露木先生の理念が存在する」と思えるものにしたかったのです。
  理由のみっつ目は、露木先生が述べた「聴くこと=受容と共感」の可能性の大きさを、私自身が感じ取ることができたからです。
  私自身が先生の教えをもって、福祉現場・福祉教育現場に立ってみると、「受容と共感」というものは、「援助上の基本姿勢のひとつ」といった点だけにとどまらず、大きな可能性を秘めていることが強く実感されました。私は、露木先生が見据えていたものや真意は、その大きな可能性の部分にこそあったのではないか、とさえ感じたのです。だからこそ、そういったことを「聴育」と名づけたいと思うに至りました。そこで先生の理念が普遍的であることと、それだけの可能性と広がりをもっていることを、いろいろな具体例をもってお伝えする必要があると感じたのです。
  また、これまでに「福祉になぜ文化が必要なのか、黙ってお年寄りに席を譲る気持ちがあれば良いではないか。どうして文化なんて言葉を持ち出すのか」という言葉を何度となく投げかけられたことや、「私たちの仕事は、目の前のひとのおむつ交換だけで結構。社会との関係など興味がない」という福祉従事者の言葉を聞いたことも、「露木先生の個々の発言という“点と点”を、本の中で“線”にしよう」と思ったきっかけになりました。

 ところで、露木先生と私との関係についても説明が必要かもしれません。私は、露木先生の下に何千人も存在する「教え子」のひとりです。その上、露木先生の部下として働いたこともなければ、学校で先生の授業を受けた期間も半年間にしか過ぎません。しかし、縁を保っていただく幸運に恵まれ、事あるごとに先生に呼んでいただき、いろいろなお手伝いをする中で学ぶ光栄と機会を得ました。
  露木先生の数多くの「教え子」の方々の中には、何年にもわたり濃密に教えを受けたり、部下として日々を過ごされたり、理念を十二分に受け継ぎ発展させて実践で素晴らしい功績を残されたりしている方がいらっしゃいます。ゆえに、私ごときがこうした本を著すことは僭越きわまりないことではありますが、先生にこの本を託していただいたことに感謝し、筆を進めたいと存じます。

    茂木 高利